特集福岡のお葬式

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2021.10.25

港からの文化。

写真提供:福岡市

“新しい“が訪れる場所

アジアに最も近い都市である福岡市は、福岡平野一帯が奴国と呼ばれていた2000年ほど前から、新しい文化が吹き込む玄関口として歩みを始めていました。中国後漢朝について記されている歴史書「後漢書」には、倭奴国の使者に印綬を与えたという記載がありその金印が、教科書でもお馴染みの金印「漢委奴国王」ではないかと言われています。
海からの風がまちを通り、港を通して人や言葉、宗教や文化など暮らしに関わるものが次々に出入りしていたことは、現代の福岡市に残る開放的な風土や住む人の気質にも繋がっているのではないでしょうか。

写真提供:福岡市

日本最初の禅寺である聖福寺。

臨済宗を日本に伝え日本の禅の祖と言われる栄西も、博多の港から文化を広めた人物のひとりです。福岡市博多区の市街に佇む聖福寺は栄西が開いた日本で最初の禅寺で、境内にはその証である扶桑最初禅窟の額がかけられています。栄西は中国から持ち帰ったお茶の木を植え日本にお茶の文化を広めたとも言われており、現在でも境内にはお茶の木が植えられています。

市民に親しまれる神社。

博多祇園山笠が執り行われる櫛田神社は、当時平清盛が博多進出を図り袖の湊を開いたのがきっかけでその海の護り神として櫛田宮を迎え入れたと伝えられています。お櫛田さんの愛称で現在でも地域の人にも親しまれ、霊柩車で櫛田神社の前を通らないようにする風習が今も残っています。

福岡市は陸だけでなく、海からも数多くの新しい文化を迎えいれてきました。そうした歴史の残る建造物や遺跡とともに、現代の新しい文化は築かれています。多様化する葬送についての考え方も、福岡の土地らしく育んでいくことが我々ダビアス福岡市の願いです。