特集福岡のお葬式
博多どんたくと感謝
恩恵に謝する。
福岡の内外から大勢の人が集まり、ひときは賑わう博多どんたく港まつり。その始まりは平安時代、平清盛の嫡男である平重盛が亡くなった際に執り行われた松囃子だと言われています。当時、福岡藩領内を歩き周り貝原益軒が編纂した「筑前国続風土記」には、博多に住む里人の多くは平重盛に恩恵を受けており、その感謝を表現するために松囃子が行われたと記されています。その形式は福禄寿・恵比須・大黒天の三福神をこしらえ馬に乗せ、傘鉾をさし囃詞を唱え、舞衣を着た稚児が謡うたい笛を吹き太鼓を叩きながら市中をまわったとされ、現代の博多松囃子でもその形が受け継がれていることがわかります。
歴史の変化とともに。
今ではゴールデンウィークの2日間福岡の内外から大勢の人が集まり市民の幸せを願う活気溢れるお祭りですが、一度は福岡県庁から博多松囃子の禁止令が出されたこともありました。平重盛の葬儀に松囃子を行って以来、年賀のお祝いとして毎年恒例となった博多松囃子は、博多と福岡のふたつの町の交流の場としても長い間町人に親しまれていました。しかし、明治5年に一度華美な作り物にお金がかかることと時代にそぐわないとして松囃子は中止され、それに反対した住民がオランダ語で休日を意味するソンタークを語源とした博多どんたくを提案したのがきっかけで今の博多どんたくに辿り着いたと言われています。その後も戦時中により一時は中断された博多どんたくですが、戦後の昭和21年5月に博多どんたくのお囃子を町に響かせながら練り歩いたことが住人に勇気を与えたとされ、翌年に博多どんたく祭りは復活を遂げます。
想いを残して。
博多どんたく以外にも、福岡には古くから続くお祭りが数多く存在します。それは時代に寄り添い、形を変えてでも体験を残したいと考えてきた福岡の人びとの働きによるものでしょう。おかげで福岡に住む我々は、周りの人と時間や想いを共有する喜びを知る機会を多く得てきました。そしてそこで感じた想いによって、私たちはまた次の機会へと繋いでいくことができます。
葬送の形が多様化する現代で、我々も想いを体験できる場所をきちんと繋いでいきたいと思います。博多どんたくが最初はひとりの人間の死に際し、悲しみだけではなく、感謝の心から始まり、その行為が数百年を経た現代もなお人を支え新しい想いを育んでいる姿は、私たちが考える葬送のひとつの理想の姿です。ダビアス福岡市では、そうした福岡らしく想いをつないでいく葬送の形を目指します。